『リボルバー・リリー』津山ヨーゼフ清親を中心に

ジェシーはどうだったのか

ジェシーは間違いなく、よかった。正直なところ、実際見るまではメディアを通して聞く賛辞を少し疑っていたが、よかった。

インタビューでも「司令を出す立場の人間は弱い」*1と言っていたが、彼が演じた津山ヨーゼフ清親大尉の冷酷で卑劣な悪役ぶりに、弱さとその下敷きになっている孤独が透けてみえる塩梅がよかった。部下を引き連れ、さらに盾にまでする戦い方、それを何度も繰り返す卑劣っぷりは、他の映画では見たことのないレベルで、ひとつの見どころだったと思う。さらに、声の演技や軍服に包まれた身体のブレのなさという悪役としての強さを見せていた。にもかかわらず、津山の佇まいや目の表情に、孤独や弱さを感じ取ることができたのはわたしだけだろうか。これらは、本来、私がジェシーの持つ柔らかさを好むがゆえに強く感じたとは思うが、演出面でも意図的に、この点を強調するよう表現されていたように思う。

まず明らかに弱さを見せるのが、板尾創路演じる小沢大佐により口に銃を突っ込まれる場面。小沢はシベリアで戦った津山の過去についてもセリフで触れている。小沢といる時は、いつも部下としての立場の弱さを見せるが、これは分かりやすい。

それよりも私が面白いと思ったのは、津山の状況を衣装や演出によって暗示的に表現していた部分だ。

初登場は、ストライプスーツを上品に着込んで、脚を組んで座っている場面だ。背後から静かな光が差している。プロモーション映像で繰り返し見た、あれだ。彼が登場するより先に、パナマ帽とベスト姿の部下たちが大勢、画面に現れるが、その直後に登場する津山と服装が似ている。帽子は一見同じ、スーツも似た色味のスリーピーススーツだ。違いは、津山がきちんとジャケットまで着込んでいること。津山は彼らと同じだけど違っている。ほぼ同じだからこそ際立つ違いを最初の登場から感じさせる、よく設計された衣装だと思う。陸軍における彼の孤立があの場面だけで感じられる。この後、軍服を着た場面でも、津山のものだけ色味が少し違う。*2

またジェシー自身、パンフレット内のインタビューで、津山は「一般人を撃つ時は目を逸らす」と言っている。これは細見家の使用人たちが殺される場面のことだろう。確かに津山は光の差す窓の外を向き、使用人たちに背を向けていた。この演技はおそらく監督の指示であり、やはり津山というキャラクターの弱さを伴う深みをはっきり描こうとしていたのだろう。

もう一点、津山の描き方で興味深かったのは、ジェシーの体格のよさが敢えて消されていたことだ。

津山には常に中尉の三島=内田朝陽随行していた。内田朝陽ジェシーとほぼ同じ身長だが若干体に厚みがある。このふたりが常に並んでいるため、ジェシーの身長の高さはあまり感じられない。感じられるのは小沢大佐との場面くらいだ。また内田朝陽のはっきりとした力強い目鼻立ちもまた、ジェシー演じる津山の柔和さを含んだ顔立ちを強調していたのてはないか。

 

津山(ジェシー)と南(清水尋也

さて、深さを与えられていた津山のキャラクターと対をなすのが、清水尋也が演じた南の描かれ方だ。両者ともに百合を襲う立場であるが、キャラクターが全く違う。津山には国や軍に対する思い入れが感じられるが、南にはそれがない。南は、背負った過去や社会に対する思いはなく、陸軍の手先として働きながら、望んでいたのは、ただ百合との対決だった。

この映画では、ジェシーと違い、清水尋也の突出した容姿を活かす画面が印象に残った。作品中、意外にインパクトの強いレイアウトの画面は少ないのだが、清水尋也登場場面では何度もそれが見られたように記憶している。ひょろりとした体躯とフェミニンな雰囲気もある顔が存分に生かされている。私は彼のまつげの長さの価値をこの映画で実感した。

南については、軍服姿もまた印象に残っている。百合を撃った後、背を見せて悠然と去っていく後ろ姿、痩せた体に沿わないぶかぶかの軍服をベルトで強引に体にまとわせた様子は、彼が軍の存在に重みを感じていない証拠だろう。ここでも、「混血」という立場による逆境を匂わせながら、軍人を貫いた津山との対比が感じられる。

戦い方も好対照だ。津山が卑劣な団体戦に始まり、泥臭い力任せの肉弾戦を見せたのに対し、南は互いの隙を伺って一瞬の動きで勝負をつける洗練された戦い。はっきりと対になっている。

 

ところで、私は行定勲監督作品を『GO』しか観ていないのだが、『リボルバー・リリー』の津山をとおして感じられたジェシーの弱さの気配は、当時の窪塚洋介がまとっていたものと通じているように思う。

 

俳優陣のカッコよさ

さて、ジェシーについて長々と書いたが、この作品で一番輝いていた俳優は、長谷川博己だろう。彼が演じた岩見は、何らかの過去を感じさせつつ、ひょうひょうと街の相談役を務め、その一方で海軍や内務省の幹部たちと渡り合う凄腕ぶりだ。また時に、青少年のような百合への恋愛感情をちらつかせたりもする。

彼と内務省の植村=吹越満紫煙をくゆらせながら対峙する場面は、この映画で一番質の高いものだったように思う。過去を解き明かす説明的な場面であるが、ふたりの俳優の味わい深さにより、その過去に特別な意味が与えられていた。

また、ここでも衣装の対比がよかった。岩見は常に濃い色のスーツを来ているが、内務省の植村は明らかに他とは違う明るいベージュ。植村が異質な存在であることが一目で分かる。

岩見は山本五十六阿部サダヲとの場面もよかった。ふたりの場面の中で、岩見は「守りたい」という思いを口にして戦いに加わったが、この行動には、単純な「戦争反対」という考え方に対する、複雑さを示す視点が仕込んであったのではないか。

俳優陣は全員見事で、まず羽村仁成の、目の前ですくすくと伸びていきそうな成長期の体と幼さの残る表情に惹きつけられたし、幼さの残る顔といえば、古川琴音の個性を存分に生かした演技は楽しいし、シシド・カフカにライフルを持たせたのは天才の所業だし、石橋蓮司は拝めるだけでうれしいし、などなど。

 

東映アクション映画」?

ただ、「東映アクション映画」と銘打つには柔らかい。

東映のアクション映画といわれると、私は任侠映画のイメージだ。『仁義なき戦い』や『緋牡丹博徒』が頭に浮かぶ。だが、そのタイプの映画で見られるようなケレン味のある演出は少なく感じた。エノケンの曲をかけながらの戦いの場面や佐藤二朗の場面、終盤のマンホールの演出などは、その種のケレン味を多少感じたがアクションのメインはそれではなかった。あえてそのタイプの芝居っ気のある演出を避けたのではないかと思うくらいだ。

監督は原作者との対談で「耽美的なアクション」という表現を使っているが*3、衣装やセット以外、動きやレイアウトでそれを感じることは少なかった。戦闘場面の個々の動きを派手にして画面映えを狙っているのは感じたが、物足りなかった。

プロデューサーは、行定勲に監督を依頼したからには、その柔らかさで新しいアクション映画を作りたかったのかもしれない。しかも主演は、アクションには定評があるものの、柔らかさとは切り離せない綾瀬はるかだ。これは、制作の意図が従来の「凄みのある姐さん」タイプではなく、現代的な女性らしさが感じられる、新しい女性アクションヒーローを作ることにあったと思わざるを得ない。

その意気込みは評価するものの、正直なところ、物足りなさは否めない。

 

でも期待してる

大正時代を舞台にした、女性が主人公のアクションもの。この設定には、まだまだ面白みが詰まっていると思うので、ぜひ続きかスピンオフを見たい気持ちにはなった。

柔らかさと強さを備えた、新しい女性像の綾瀬はるか、彼女に寄り添う、スラリとカッコいいシシド・カフカと、幼い外見を何かに昇華したような古川琴音の3人による(流行りの)シスターフッドものをぜひとも見たいところである。これが実現した場合の衣装にも大いに期待している。

 

*1:https://mdpr.jp/interview/detail/3878321

*2:このストライプスーツについては、パンフレットでデザイン担当者の「色を少し薄めにストライプをハッキリ」させることで他との違いを出したとのコメントが載っている。軍服についても言及しているインタビューをネット見かけたが、場所を失念した

*3:https://ddnavi.com/interview/1167015/a/